生物は、「耐性」により進化してきたといっても過言ではありません。
筋肉も骨も内臓も細胞も、ダメージや負荷をを与えることでより強くなります。特に人間は、精神的な耐性もときには必要になってきます。
「楽」と「楽しい」は違います。
「楽」をしていると、耐えることがないため、どんどん衰えていきます。
だからと言って、「しんどいこと」をし続けると、ある程度「耐性」はつくかもしれませんが、それ以上に精神的に嫌になります。
「しんどいこと」を、どう「楽しく」行うか? ここに、生きる大きな意味があると、私は思っています。
このお話をするときに、よく例えで出すのが「高校球児」です。
ある進学校では、野球部が朝練もして、授業後の部活も真剣にやって、そのあとに塾や学校の宿題をしていました。
その高校は、毎年地区予選1回戦負けです。
さて彼らはなぜ、そんなにしんどいことをし続けているのでしょうか? 答えは簡単ですね。野球をすることが「楽しい」からに決まっています。
少し変な話をします。「生きる」こと自体、しんどいことです。生まれたときから「死」に向かって生きます。
外敵も猛獣,毒,ウイルス等たくさん存在します。
それらから身体を守らなければならないために、脳や細胞は事前に対処します。
そのために、「嫌なことから先に考える」癖が、あらゆる人間にはついているのです。逆を言えば、「楽しい」人は「楽しく考える」努力をしているのです。
「死にたい」「だるい」「疲れた」「あいつ嫌い」等の嫌なことを考えている人は、極端な話、何も考えていない人、考える努力をしていない人です。
題に「耐性」と書きましたが、「しんどい<楽しい」を常に考えれば、勝手に「耐性」はつきます。
「しんどい>楽しい」ではダメなのです。
ただ、「しんどい」の値が低すぎると、「耐性」もわずかしかつきません。ここで「楽しい」考えが重要になってくるわけです。
不登校で苦しんでいる方は、
①どうやって楽しく学校に行けるのか?
②学校に行けなくても楽しく毎日を過ごすにはどうすればいいか?
勉強で苦しんでいる方は、
①どうやったら勉強が楽しくなるのか?
②勉強しなくても学校生活が楽しく送るようにするにはどうすればいいか?
等のことを、一生懸命考えることが必要です。
また、親御さんを含め、周りの大人は、子供たちがどうしたら楽しいと思ってもらえるのかを常に考えて行動するべきです。
ただでさえ生きていくのにしんどい人生。
常に楽しさを忘れない生き方が、どんな困難も乗り越えていける唯一の方法であると、私は強く思います。