「生きる」

この意味を自分なりに考えてみました。
原因は、昨年の芸能人の相次ぐ自殺,子供の自殺数が過去最高を記録、また今年の旭川のあまりに痛ましい凍死事件等があり、改めて考えてみようと思ったからです。

まず、「生」は「死」とセットであり、ほとんどの人間は「死」について一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

友達同士で冗談めかして「どんな死に方をしたいか?」を言い合ったり、1人でまじめに「死ぬまでにどのように生きようか。」というところまで、日常の様々な場面で思ったことがある方は多いと思います。

具体的には、例えば、

①.タバコや酒が大好きな不摂生の生活をしていた親

 →肝臓と肺をやられ、苦しんだ末病死

 →「こんな風には死にたくない」と一切タバコや酒を摂らない生き方をする,

②.会社員としての昼の仕事と、ギタリストとして楽しく休日活動する父

 →充実した毎日を送っている父を誇りに思い尊敬する

 →自分もギタリストになる。

といった風に。

ただ、「生きる」ことについて、我々人間と、それ以外の動植物とでは定義が異なるように感じます。
人間以外の動植物も、みな生きていますが、ここでいう彼らの「生きる」は、

精一杯活動することであり、

命が尽きるまでこの世界にいることではないでしょうか。

もちろん人間にも当てはまりますが、人間はそれだけではない気がします。
理由は簡単です。明確な「自殺」があるからです。(※人間以外の他の動植物に自殺がないわけではないそうですが、せいぜい食事を拒む等の積極的な行動ではないため、次回の内容も含めて人間の「自殺」とは少し定義が異なると考えます。)

では、次回は「自殺」から「生きる」意味について考えてみます。