今回は、法律上の罪ではないが、人が決して許さない行為「裏切り」についてお話ししたいと思います。この話題は、非常に辛く重い話になるので、読まれる方は相応の覚悟を持って読んでください。
まず、私自身、大きな裏切り行為をした経験があります。もう15年以上も前になりますが、相手を深く深く傷つけました。一応、相手は許したとは言ってくれましたが、私のもとからは去り、変な言い方ですが私はまだ何かに償い続けている感覚です。
また一方で、相手の決して許せない裏切り行為を全力で非難し、相手を追い詰め絶縁状態になっている人間関係も持っています。絶縁状態に行かないまでも、相手の言動にショックを受け、「こんな人だったんだ」と裏切られた感を持った人には、非常に厳しい態度を取ってしまっています。今回は、それらをもとに私が勉強したことを伝えていければなあと思います。
まず、自分が裏切り行為を犯してしまった「加害者」の場合。
一生涯かけて償うべきです。そして、自分が生きているうちは決して償えるものではなく、それでも懸命に死ぬまで償っていくのが、加害者の唯一の行動だと、私は思っています。
償い方は、口で言うのはそれほど難しくありません。
「惨めな思いをする」
これだけです。
裏切り行為は、相手の心を深く傷つける行為です。相手が許してくれたならば、そもそもそれは裏切り行為ではありません。相手が許してくれないから、裏切り行為なのです。「許した」と言っても、心では決して許していないのが裏切り行為です。 そのため、自分が誰かを裏切ったなら、それは一生許されない行為をしたものと思った方がいいです。
そして、「それでも許されたい」と強く思うのならば、自分の持つプライド、お金、健康、身体、世間体、地位、あらゆるものを度外視して、全力で相手に謝罪することです。それでどれだけ自分が惨めな、情けない、辛い思いをしようがです。正直、「許されたい」と思うことすら、おこがましい。
非常にいい例が、お笑い芸人アンジャッシュ渡部さんが開いた「フルボッコ会見」。彼はそこで誰が見てもボロボロになりました。それを見た世間一般の人々は、さらにネットでも追い打ちをかけました。正直、自殺に追い込まれてもおかしくなかったかもしれません。でも、だからこそ、彼の奥さんは今日まで彼と離婚しなかったのだと思います。
また、マンガですが、さの隆先生が描かれた「君が僕らを悪魔と呼んだ頃」という本も、「どうすれば許されるのか?」ということを強く考えさせられる内容になっています。残虐な行為を行った主人公が記憶喪失になり、失くした記憶を思い出しながら、自分の過去と向き合っていく話で、この物語の1つの答えが最終話に向けて凝縮されているような作品です。ただ、非常にエグい内容ですので、覚悟を持って読まなければなりません。
忘れていけないのは、加害者はどこまでいっても加害者であること。加害者として当の本人は決して許されたと思ってはいけない。償い続けることで、本当に許されたと自分が感じる時がいずれ来るかもしれません。自分が死んで初めて許されたと周りが言うかもしれない。もしくは、死んでなお許されず自分の子供や孫にまで影響を与えてしまうかもしれない。それが、加害者です。
よく「加害者の人権」について問題が出てきます。「加害者は幸せになってはいけないのか?」。私の答えは「基本幸せになってはいけない」と言い切れるくらいです。なぜなら、まず最初に被害者を不幸にしたのだから、被害者が傷を癒して、加害者を許してくれるまで、幸せになる権利はないものと思います。
そんな加害者ができることは、持てるものを全て差し出して償うことしかありません。自分がどんな思いをしても、自分の持てうる全てを差し出すその行為に、被害者は傷が少しずつ癒えてくると思います。酷い言い方をすれば、加害者が苦しみ続ける姿を見て、許してあげようという気持ちになってくるものと思われます。
ただ、このことをしっかり知っていれば、自分が相手を裏切ることはまずないでしょうし、万が一あったときには、変な言い方ですが、後悔のない生き方ができると思います。
相当重いテーマでしたね。次回は、「被害者の場合」をお伝えします