前回、私の「緑内障」の状態について説明しました。ここでみなさんからこのように思われるかもしれません。
「かわいそうに…」「そんな病気に負けないで!」「きっといいことあるよ!」…。
正直言うと、何とも思っていません。そりゃあ、違和感を訴えてもまともに聞いてくれなかった某眼科には腹立つし、大好きな車の運転もできなくなってストレスもたまるし、目薬地味に面倒くさいし、やっぱ見えないのは不便やし、いろいろマイナス的な気分はありますが、それにより自身の精神にまで侵されてはいません。最初なんて「あるのに見えない!」と、初めての感覚に喜んでいたくらいです。
失明第1位の病ではあります。ただ、私の感覚では、自分が死ぬギリギリくらいまで少しでも見えていてくれたら、というバランス重視なので、そこまでもったらいいな~っていうくらいです。人間なので仕方ない。いずれ身体にガタは来るので。逆に見えてることに感謝です。
つまり、何が言いたいかと言うと、
「私は病にはかかっているが、病気にはならないような考え方をしている!」
ということです。巷ではうつ病等の精神病が増えてきて、私の周りでもいろいろいます。その中には、自身の境遇を呪い、他者の幸せを疎み、不幸を自慢するかのように周りに巻き散らかしている方々もいます。
以前言いましたが、負のパワーは周りに伝染する瞬発力があります。愚痴,不平不満,悪口,泣き言,弱音,後悔,等を言っている人がいると、周りも引っ張られてしまい、他者への攻撃になればいじめが、自身への攻撃になれば、いやーな気持ちが充満し、頭痛などの身体的な症状が起きます。
私自身、できた人間でも聖人でもないので、そんな人たちの相手をしてられないです。引っ張られたくないし、強い人間でもないので一緒にいたら引っ張られるから、なるべくそんな人とは距離を置きます。そういう人たちに「嫌われてもいい」と思って生きています。そのため、私の周りには、いつも楽しく明るい人たちばかりです。
もう一度言います。「身体」は物体として存在するので、いずれはガタがきます。しかし、そこに「心」までやられる必要はないのです。痛かったり苦しかったりするとどうしても参ってきますが、そこを踏ん張って楽しく明るく過ごすよう努力することが、「生きること」だと私は思います。
生きてりゃ嫌なことや辛いことはいっぱい起きます。ただそこに心を置くと、人生そのものが嫌で辛くなってしまいます。リフレーミングという考え方は様々な分野で出てきますが、自分の人生をどうするかは自分の考え方で決まると思います。無理やりにでも思い込んで脳を洗脳し、みなさん楽しい人生を送りましょう!