私はこの通り塾の講師をしていますが、教育者として聖人のような人生は全く歩んでいません。
・20代に結婚はしましたが、私が100%原因で3年後に離婚をしています。
・職も転々としています。あまりの多さと複雑さに自身も把握できなくなってきたので、「職務経歴書」なるものを作成しています。
・寝坊して遅刻したことも普通にあります。最大2時間遅刻も経験しました。若いときは仮病を使って会社を休んで、遊びやデートに行っていました。
・子供のころから、自分が「嫌な奴」と感じた相手には物理的にも会話でも露骨に距離をとってきました。
・若いころはすぐに他人の悪口や愚痴,泣き言を言い、周りに嫌な思いや気を遣わせてしまっていました。
・実は前歯2本ありません。過去に私の発言が原因でチンピラに木の棒で突かれて折れてしまいました。
・他にも、想像できないようなとんでもない経験をしてきました。軽い本や映画ならできそうなくらい、波乱に満ちた人生を送っていました。
さて、いきなりの私のカミングアウトですが、これを読まれた方はどう思ったでしょうか?
「そんな人だなんて思ってもいなかった。」
「幻滅した。」
「なーんだ、離婚してるのか。家庭も持っていないなんて信用ならんな。」
「何か裏切られた気分。」
「よくそれで講師なんてしてるな。」
と感じた方もいるのではないでしょうか?
なぜこんなことをあえて言ったのか。そこに、今回の命題である「期待と裏切り」に関係しています。
まず、このブログで再三言っている「言葉の重要性」。発する言葉に気を付けようと伝えてきましたが、私が思うに言葉は大きく3種類あるかと。それは「いい言葉」「悪い言葉」「どちらでもない言葉」です(この内容についてはまた改めてお話しします)。そして一般的に「期待」とは「いい言葉」、「裏切り」とは「悪い言葉」と感じると思います。
そこで私のカミングアウトです。上記のような感想をされた方は「裏切られた」という気持ちを持たれたかと思うのですが、その前に「講師しているから普通に結婚しているだろう」「教育者としてしっかりルールを守っているはず」等のように、一般的なものを「期待」していたから、「裏切られた」と感じたのではないでしょうか。さて、この「期待」は果たして良かったのでしょうか?
これまで私が担当した数多くの生徒の中で、次のようなパターンに当てはまる方がいました。
「習い事のさせすぎ(特に勉強)で子供がダメになる
→①うっぷんが爆発し、ひどい反抗期に陥り親子関係が最悪。
②内に引きこもってしまい、結果不登校になってしまったり、笑顔がなくなって能面のような表情の子供になってしまう。」
「こういう親御さんは決まって『塾に行っても成績が上がらない』と塾(他人)のせいにする」
「また、『子供の将来のためを思って』と、子供のせいにまでする」
はっきりいって、親の期待ほど子供をつぶしてしまうものはありません。「塾に行っているから成績も上がるだろう」「習い事をたくさんしておけば、将来役に立つだろう」。これらは、親の勝手なエゴであり、いくら判断が未熟な子供とはいえ、子供は自分のやりたくもないことをさせられているわけです。その中でも子供は、親の期待に応えようとがんばる。しかし結果が出ない。親はさらに期待する。さて、子供はどうなるでしょうか? そして、この「期待」ははたして良い言葉でしょうか?
次回は、「裏切り」についてお話したのち、「期待と裏切り」について自分なりにまとめていきたいと思います。